夜汽車の汽笛への憧情 -6ページ目

国鉄マユ35形

いつもご覧いただきありがとうございます。

前回からだいぶ開いてしまいましたが、今回は我が家の客車としては久々の新形式であるマユ35形について書いてみます。

マユ35形は昭和23年にマユ34形として登場した郵便客車です。
ここでマユ34形について軽く触れておくと、マユ34形は昭和13年登場の郵便客車で、戦前形標準である丸屋根で折妻構造のスハ32系の一党でした。4両が製造された後増備を停止していましたが、戦後間もない昭和23年に増備を再開します。15両が製造されてマユ34 5~19となりますが、この時に同時期に製造されていたオハ35形同様、車端部の屋根の丸みがなくなり、キノコ形の妻面を持つ半切妻構造となり、台車もペンシルベニア形ながらコロ軸受をもつTR34に変わり、同じマユ34形ながらも形が異なる車両となりました。この事から、趣味的分類上、このグループはオハ35系に属しています。
車内は前寄り(写真左側)から郵袋室、郵便区分室、休憩室・トイレ、郵便区分室、郵袋室、デッキとなっており、車掌室はありませんでした。休憩室前後の区分室は役割が異なっており、前寄りは大型の郵便物、後ろ寄りは一般の郵便物を扱っていたようです。
登場後間もない昭和24年には、運用上の都合から後ろ寄りデッキ直前に車掌室が取り付けられます。この時に形式がマユ35形に改形式され、ナンバーもマユ35 1~15となりました。なお、車掌室が取り付けられた背景には、郵便車という車種の性格上、列車の最後尾に連結されることも多々あるわけですが、当時国を支配していた駐留軍により、最後尾に連結する客車には車掌室を付けるよう指導があったとされています。

改めてマユ35形を見ていきましょう。
やはり目を引くのはズラッと並んだ天窓でしょう。いかにも郵便車らしい特徴と言えますね。
上でも書いたとおり区分室の中央に休憩スペースがあり、区分室が前後に分かれているのは戦前形郵便車の特徴です。棚部分にも窓があるのも特徴的です。どうやら当時の区分棚はシースルーになっていた様で、棚部分の窓にも採光の意味はあったようです。

ちなみに、戦後形は概ねこんな感じです。
休憩スペースは区分室の端にあるのがわかります。棚部分は天窓のみになってます。

マユ35形で特徴的なのがもう一つ。車体に投函口が付いてる所です。
区分室付き郵便車は郵便局員が乗り込み業務を行っており、実際に「鉄道郵便局」として開局していました。なので、ポストがあってもおかしくないと言えるのかもしれません。これは戦後まもなく進駐軍の指導により取り付けられたもので、戦前形からスユ42形までに見られたものでした。
ですが、やはり進行方向のある列車郵便局なのでポスト投函された郵便物は運用に難があったようで、オユ10形から廃止され、投函口のあった車両の中にも埋められたものもありましたが、マユ35形は最後まで残していたようです。
なお、この投函口は改造により取り付けられているため、同じマユ35形でも車両によって取り付け箇所はまちまちで、この場所についているのはモデルとなった2002号車の特徴である様です。

上にも書いたとおり、キノコ状の妻面を持つのもマユ35形の特徴です。同時期に製造されたオハ35系の客車と共通している特徴です。
なお、オハ35系の普通客車と同じ「35形」となったのは偶然の一致です。余談ながら、オハ35系の郵便車には他にオユ36形(後に電気暖房を取り付けスユ37形)が存在します。
また、戦前製のマユ34 1~4にも車掌室が取り付けられましたが、このグループは改形式されずにマユ34形のままでした。理由としては、経緯は不明ですがマユ34形が一般的な区分室式の郵便車と同じく郵政省所有の車両であったのに対し、マユ35形は珍しく国鉄所有の車両であったからとされています。

さて、上で書いたとおり、昭和24年にマユ35形となったこのグループは、マユ35 1~15と改番されます。細かな運用については資料があまりなく普通列車に連結されるのがメインだったと思われます。数少ない優等運用としては東京から筑豊本線経由で熊本を結ぶ急行「阿蘇」がありました。昭和30年代中盤には大阪~富山を結ぶ急行「つるぎ」にも使用されます。
「つるぎ」は北陸本線をメインに走る列車ですが、北陸本線は早くから交流電化が行われたため電気機関車を使用しており、機関車に電気暖房用の電源を搭載したため、「つるぎ」を初めとする北陸本線運用の車両には電気暖房装置が搭載されました。模型のモデルとなった2002号車もそのうちの一両です。
昭和37頃には郵便区分室が蛍光灯化され、引き続き「つるぎ」(一時期「金星」に名称変更)「阿蘇」を初めとして普通列車メインで活躍しましたが、軽量客車の郵便車オユ10形の大量増備により、昭和46年までに置き換えられて消滅しました。なお、上述のとおり国鉄所有客車であったため郵便車としては珍しく転用が行われ、9両が救援車のスエ31形に改造されました。
登場から24年。決して長命とは言えないマユ35形ですが、我が家では初の旧型郵便車として、「つるぎ」をメインに、旧型郵便車を使った色んな夜行急行の郵便車として活躍させようと思っております。


KATOの急行「つるぎ」セット入線

毎度ご覧いただきありがとうございます。

さて、このブログのタイトルは旧客急行にドハマりしてた頃に付けたものです。
当時は旧客急行や旧客の蘊蓄などたれていたのですが、一昨年あたりから入線するNゲージのコレクションが電車回帰していて、このところタイトルに合わない車両ばかりの紹介が増えていました。
というのも、ある程度の編成が組めるようになって、旧客の増備自体が一段落していたこともあるのです。
そんな状況ですが客車熱が完全に冷めたというわけではなく、久しぶりにタイトルにそぐわぬ夜汽車の車両が入ってきましたw

KATOの夜行急行「つるぎ」セットです。
発売から2年余り。諸々の事情で購入を先延ばしにしていたら増結セットが売り切れてしまい、ヤフオクで落札しました。
前オーナーにより基本+増結の12両ひとまとめのセットになってます。

夜行急行「つるぎ」について軽く解説しますと、かつて大阪~富山を結んでいた夜行急行列車です。大阪発の北陸方面の夜行列車は他に「きたぐに」や「日本海」がありましたが、これらが新潟以北で有効時間になるよう設定されていたのに対し、「つるぎ」は富山地区で有効時間になるよう設定された列車でした。比較的距離が短く、寝台車比率の高い「寝台急行」だったのが特徴でもあります。
昭和47年春には新潟まで延長され、その年の秋に寝台特急に格上げされました。その後も比較的地味な編成ながら北陸夜行の一柱を担っていましたが、利用客数の低下により平成6年に廃止となりました。

さて、このKATOの「つるぎ」セット、何気に小技が色々効いたラインナップになっていて、なかなか購入バリューの高いセットです。

やはり一番の目玉はこのマユ35形郵便客車でしょう。
これまでどこのメーカーからも完成品が出ていなかったモデルです。
戦前設計の郵便客車マユ34形の増備車として戦後まもなく登場した形式(厳密にはマユ34形として登場し、後に車掌室を設置したことから改形式されたもの。)であり、室内レイアウトや外観が非常に特徴的です。

「つるぎ」セットの特色はこれだけではありません。

我が家で12両目となるマニ60形です。
荷物ドア間4枚窓の新製車体グループで、我が家にも既に何両か存在はしていますが

屋根の端にご注目。右が今回入線のもの、左が既存車です。ベンチレーターが一つ余計についているのかわかります。これは車掌室用ストーブの煙突だったりします。
冬期寒さ厳しい日本海縦貫線~北海道乗り入れ運用車特有の仕様で、この煙突が付いたマニ60は我が家初です。
見事に小技が効いてますねw

「つるぎ」の主役と言えばやはりこのスハネ30でしょう。かつては模型化難関車種の一つで、ブラスキットを組むしかなかったスハネ30ですが、このセットには7両も含まれています。ゴージャスですねw
マイクロエースからセットに含まれる形でプラ完成品はでたものの、高価なマイクロエースの客車セットゆえ入手は難ありでした。それが比較的安価なKATOのセットで出てきて一気に敷居が下がりました。

「つるぎ」セットのスハネ30形にはもう一つ特徴があります。右は「音戸」セットのもの、左が「つるぎ」セットのものです。
一見同じですが窓下の表記が異なっていて、「音戸」のものは昭和45年までの表記である「寝台」、「つるぎ」はそれ以降の「B寝台」となっています。昭和45年の等級制廃止による変化なのですが、スハネ30形は昭和48年までにほぼ姿を消してしまうので、「B寝台」は最晩年の僅かな期間の姿ということになります。

編成の最後尾を飾るスハフ42形です。
一見変哲もないスハフ42形ですが、それで終わらないのが「つるぎ」セットですw

右側が単品や他のセットに含まれるスハフ42形です。
貫通扉の形が異なるのが判るでしょうか。

デッキドアの形も、一般の製品は縦長のHゴム固定窓で平板なドアですが、

「つるぎ」セットのものはドア窓が小さく窓下に窪みが見えるプレスドアになっています。
このドアはスハフ42形の原形ドアといえるもので、KATO製品では茶色塗装のものがこのドアになっていますが、青色塗装でプレスドアは現行仕様では初となっています。
実車は検査や修繕の際にドア交換が行われ、様々なタイプのものが付いており、この製品のスハフ42形はドアの形にバリエーションのある旧型客車らしさを表現する演出と言えるでしょう。なお、製品のスハフ42形のナンバーは2152となっていますが、実車のスハフ42 2152がこのタイプだったかどうかは判りませんw

2年前に入線したED70形との組み合わせもようやく実現しました。
同じ北陸本線を走っていた夜行急行の牽引機がEF70形にシフトする中で、最後までED70形を使っていたのが「つるぎ」でした。
最近仲間内で北陸方面の列車がホットになりつつあるのですが、その中でも渋みの効いた一品になりそうですw

次回は今回我が家での新形式となるマユ35形について解説しようと思います。

KATOのE259系を詳しく見てみる

毎度ご覧いただきありがとうございます。

予告どおり、先日入線したE259系について詳しく見てみてみます。

ホンモノのE259系です。いかにも「特急電車」らしい、力強さを感じるスタイルですね。

ここで各車両について見ていきましょう。
E259系は6両で1編成となっています。
クハE258形です。大船・高尾・大宮寄りの先頭車です。
左側のN‘EXロゴの部分にトイレが付いています。
先頭部ドア上にも赤文字でロゴが入っています。SERIES E259の文字がどことなく誇らしげですw
形式を示すロゴというのもいかにも今時の電車らしいですね。
デッキと客室の間に空間がありますが、実車ではこの部分に手荷物用の棚があります。空港特急らしい設備ですねw

反対側のサイドビューです。左右で大きな違いは無いですね。首都圏の短距離特急用であるため、乗降がスムーズになるよう、車体の前後、2ヶ所にデッキがあります。このあたりは183系や253系の血筋とも言えるでしょうか。
定員は40名。何気に昔のグリーン車(48名)より少ないんですね。先頭部は高運転台構造になっており、分割・併結運用があるため前面には貫通扉がついています。
先代N‘EXの253系では貫通部分は非常通路となっていましたが、E259系は一般の通路として使用できるようになりました。
国鉄特急の583系や183系からのデザインの流れを、現代風に上手く昇華させた、なかなかカッコイイスタイルだと思います。
原形の583系(写真右)や西日本アレンジな285系(写真中)と比べると面白いですね。

モハE258形です。パンタグラフのない中間の電動車です。
クハE258形同様、車体の前後にデッキがあり、デッキ横に大型荷物棚があります。
定員は56名。トイレはありません。
床下にはコンプレッサーと補助電源(SIV)を積んでいますを

モハE259形です。パンタグラフの付いた中間の電動車です。接客面ではモハE258形と変わらず、デッキ横に大型荷物棚があり、トイレはありません。定員も56名です。
床下に主制御器を搭載しています。

モハE258形500番台です。
モハE258形0番台と番号以外はほぼ同じです。
ナンバーの下2桁を編成内で合わせるため番台区分されているようです。
トイレはなく、定員は56名です。

モハE259形500番台です。
屋根にパンタグラフが2基載っているのが特徴です。モハE258側のパンタグラフは予備用で、本来のパンタグラフが故障した際に使用されます。
接客面でも0番台と若干異なり、車椅子対応座席が存在します。このため、写真左側のドア横に車椅子マークがついています。やはりトイレはありません。車椅子スペース分定員は少なく54名となっています。

クロE259形です。
成田空港寄りの先頭車で、グリーン車となっています。デッキは運転台直後の1ヶ所のみです。
ドア横に大きな荷物棚があるのは普通車と同じですが、身障者対応の大型トイレや多目的室、車販準備室、公衆電話室が設置されているため客室は狭く、定員は半室グリーン車のサロハE258形のグリーン室部分と同じ、僅か28名です。
狭い客室で定員を稼ぐためかシート配置は2+2の4列となっていて、先代の253系のグリーン車が1+1または1+2だったのと比べると若干グレードダウンと言えるでしょうか。

反対側のサイドビューです。
クロE259形はE259系の中では唯一、車体の左右で窓配置の異なる車両となっています。
客室と大きなロゴの間に独立した窓が見て取れますが、これが多目的室となります。魅惑の小部屋ですねw
余談ですが、先頭車のグリーン車である「クロ」と言う形式は我が家初登場だったりします。

ここで恒例の実車解説と行きましょう。

JR東日本E259系は空港連絡特急「成田エクスプレス」用として平成21年に登場した特急形電車です。
登場当時、「成田エクスプレス」には253系が使用されていましたが車齢20年に満たない状況で老朽化には程遠いにも関わらず交代となった背景には、この時期に京成のスカイアクセス線が開業して最高160km/hを誇る新型スカイライナーが投入されたため、その対抗措置として新型投入となったものと思われます。
世代としてはE233系と同じで、走行機器に冗長制を持たせて故障に強いシステムになっていたり、ドア窓が角ばっていてペアガラスを使っていたりと、E233系と共通する部分が多く見られます。
左がE257系です。ドア窓を比較するとE259系の方が角張っているのが判ります。後に続くE657系やE353系も同様のドアになりました。

制御方式はIGBT素子を使用したVVVFインバータ制御で、日立製のSC90Bを使用しています。
基本的に平坦区間ばかりの「成田エクスプレス」専用であるため、E257系に見られた発電ブレーキは搭載していません。
実際には河口湖乗り入れや「マリン踊り子」として勾配区間に乗り入れることになるのですが、設計時からすると想定外と言えるのでしょうね。

モーターはE233系用のものをアレンジしたMT75Bで、出力はE233系と同じ140kwです。JR西日本の特急形に比べて低く感じますが、電動車比率が4M2Tと高く取られており、編成全体ではかなり強力であることがわかります。
運転最高速度は130km/hで、総武線区間ではトップスピードで突っ走る勇姿を見ることができます。
重心を下げるため、クーラーはE257系と同じ床下式で、屋根上はスッキリしています。

台車は近年のJR東日本の電車標準である軸梁式のボルスタレス台車でヨーダンパが付いています。その他特徴としては揺れを抑えるために車間ダンパが装備され、先頭車にはフルアクティブサスペンションが使用されて乗り心地の改善を図っています。
実際に2度程乗ったことがありますが、乗り心地はかなり良かったです。


車体は近年のJR東の特急形では標準となったアルミ合金製て、カラースキームは先代N‘EXの253系と同じものとなっています。
普通車のシートピッチは1020mmと大きく取られ、在来線特急としてはトップクラスのゆとりを誇ります。一方、グリーン車はシートピッチが特別二等車から続く伝統の1160mmで、上でも書いた通り座席も2+2配置で凡庸であり、本革シートを使用してはいるものの、普通車が立派になった分グリーン車としての価値を生かしにくい状況になってしまっているようです。
空港特急らしい設備としては、やはりドア横の大きな荷物棚が挙げられます。棚にはダイヤルロックも備わっており、セキュリティーも考慮されています。
車内には天井に数ヶ所大型のLCD案内装置があるほか、デッキにもLCD案内装置が備わっています。複雑な運行系統を持つ成田エクスプレス用らしい設備ですね。
トイレは短距離用らしく6両編成中1号車と6号車のみで、長時間乗車となる河口湖乗り入れやマリンエクスプレス踊り子は想定外の運用であることが判ります。


さて、2009年に253系の後釜として登場したE259系は、成田エクスプレスで活躍します。
今時のJR東日本らしい増殖力を見せ、僅か1年で先代の253系を放逐し、成田エクスプレスの主役となりました。
しかしながら、不況や成田空港利用者の減少、京成スカイライナーや高速バスとの厳しい競争などにより成田エクスプレス自体が減便され、余剰が出るようになりました。
そこで、2012年から不定期列車ながら「マリンエクスプレス踊り子」号に投入され、思わぬ伊豆デビューとなるのでした。また、速度ではスカイライナーに太刀打ちできないことから、JRのネットワークを生かし、2014年にはやはり不定期列車として富士急線に乗り入れ河口湖まで足を延ばす事になります。河口湖便もマリンエクスプレス踊り子も好調で、マリンエクスプレス踊り子については現在も運行が続いています。成田エクスプレスの河口湖乗り入れは外国人観光客に好評で運行が続いていましたが、特急「富士回遊」号運行開始に代わって2019年3月に運行を終了しました。一方、2014年からはやはり休日中心に横須賀にも足を延ばしていますが、こちらは振るわなかったようで2017年に運行を終了しています。

登場から10年となるE259系ですが、これからも首都圏の空港連絡特急として活躍する事でしょう。自分としては身近な特急電車でもあるので、模型共々今後を見守っていきたいと思います。

余談ですが、これまで予算の都合や仲間内のラインナップも考慮して、意図して特急形電車の導入は最小限に抑えていたのですが、E257、E259の立て続けの導入で特急形電車の魅力に目覚めてしまいましたw
今後は仲間内で導入しなさそうな車両を中心に、特急形電車も増えてしまいそうですww

空港特急がやってきた!

毎度ご覧いただきありがとうございます。

前回の投稿で予告したとおり、マニ44形に続いてE259系成田エクスプレスが入線してきました。

製品はKATOの現行製品です。
基本・増結の6両を購入しました。
ゆくゆくは12両にしたいところですが、予算の都合で今回は6両のみです。


いつもは何かしら入線整備が要るのですが、このE259系については全くなしですw
KATOの「Ready to run」の面目躍如と言ったところでしょうか。手が掛からないと言うのは良いのですが、ちょっと拍子抜けに感じてしまいますw

KATOのE259系の特徴としては、実車のE259系の特長の一つである車間ダンパが再現されているところでしょう。
連結器の電連フックと連結器本体に挟み込む、なかなか巧妙な機構になっており、巧いものだなと感心してしまいました。


クロE259形の屋根です。
アンテナが沢山立っているのは首都圏の空港特急らしい特徴と言えるでしょうか。屋根に列車無線アンテナ以外何ももなくスッキリしているE257系とは対照的です。
ちなみに、屋根のアンテナは列車無線、WiMAX、ラジオ、公衆電話となっています。いかにも今時の電車な感じです。
真っ赤な屋根というのもまた面白いですねw


成田エクスプレスと言えばやはりこのロゴマークでしょう。先代の253系から継承されており、この電車のアイデンティティともなっています。
スタイリッシュでカッコ良いですね。

先頭のクロE259形の出入口付近です。
禁煙表示や全席指定表示がピクトグラムで表示されています。グリーン車マークも他のピクトグラムに合わせた小さなものが付いています。小さなグリーン車マークはE257系とE259系のみで、他は依然として大きなものなので、これもE259系の特徴と言えるでしょうか。
実車は列車によって1~6号車または7~12号車となるため、ステッカーによる号車番号表示はなく、行き先表示のLEDに表示されています。この辺りは柔軟な編成を組む関西の電車と共通する部分ですね。
なお、製品の方向幕は最近のKATOの製品らしく「成田空港」行きが印刷済みとなってます。ステッカー貼り付けの手間が要らない代わり、点灯させることはできません。このあたりは賛否の分かれるところですね。


モハE259形の屋根です。パンタ周りの配管が色さしされてます。
KATOの完成品ではちょっと珍しいですね。
パンタグラフはユニット外側に付いています。


モハE259形500番台の屋根です。
こちらはパンタは2基搭載されていますが、片方は予備となっています。このあたりはE233系と同じ「故障に強い」設計によるものです。

モハE258形の屋根はパンタがないのでシンプルです。WiMAXアンテナとラジオアンテナが目立ちます。

クハE258形の屋根です。
クロE259形と比べるとアンテナ数は少ないですね。電話アンテナがなく、WiMAXアンテナは一対のみです。

ヘッドライトは実車同様、HIDランプとシールドビームの色の差が再現されてます。
凝ってますねぇw

次回の投稿でもう少し詳しく見ていくことにします。

青いパレット荷物車入線

毎度ご覧いただきありがとうございます。

先月は予算が営団3000系に化けてしまったマニ44形が入線しました。

グリーンマックスから先月発売された製品です。
貨車とも客車ともつかない、孤高の存在とも言えるこの荷物車。
独特な姿がよく再現されています。

今回購入したのは2両セット。
表記類もバッチリきまっていて良い印象です。

今回のマニ44形の特徴はやはり台車でしょう。
電車用のDT21と軽量客車のTR50を足して2で割ったような独特な姿ですが、マニ44形でしか使用されていません。
マニ44形は古くはグリーンマックスのキット、近年ではグリーンマックスとマイクロエースから完成品で発売されていましたが、いずれの製品も価格面等の兼ね合いで、これまでTR50で代用されてきた経緯があったりしたのです。
それが、この製品が発売される直前にモデルアイコンからTR232を付けたマニ44形キットが発売されて、ようやくNゲージのマニ44にも正規の台車が起こされ他たわけですが、それに刺激されたのか、グリーンマックスでもキット以来初めて正規の台車を履いた製品を発売してくれました。
さて、これまでのマニ44形のNゲージといえば、車高が高いのが相場となっていました。というのも、マニ44形は実車は車体裾が台車と被っているのですが、Nゲージではレール幅とスケールの関係上、実車どおりにすると台車が車体に支障して曲がれなくなってしまうのです。
今回のマニ44は台車の中梁が下げられており、グリーンマックスが頑張ってギリギリまで車高を下げた工夫の跡が見られます。

KATOのスニ41形と比べてみます。車高は若干高めですが、自分的には十分許容範囲内です。

残念ながら台車や床板は集電対応になっておらず、尾灯等の点灯化には一工夫必要です。
我が家では当面中間封じ込めにする予定です。

サイドビューはこんな感じです。
貨車然とした側面の大きなドアに、客車らしい前後のデッキと台車が絶妙なバランスです。
入線整備としてはカプラーを交換した程度です。とりあえずカトーカプラーにしましたが、貨車用の車間短縮ナックルカプラーが使えそうです。見た目重視なGMナックルも一瞬考えましたが、我が家の荷物車はカトーカプラーが多く、GMナックルとは連結不可能なため見送りました。

ここで、マニ44形について軽く解説してみます。

マニ44形は昭和53年に登場したパレット搭載対応の荷物車です。
スニ40・41形やワキ8000形の後継車種で、パレット搭載に対応した貨車同然の大型荷物引き戸を持ちつつも、前後にデッキを持たせる事で従来の荷物車同様の取り回しができるようになっているのが特徴です。
妻面は中央にHゴム固定の小窓が配置され、その下に潜り戸が付く独特のスタイルで、先輩格のスニ41形2000番台と似た印象となっています。
上の写真左がスニ41形、右がマニ44形です。
一見するとよく似ていますねw
車体幅はスニ40・41形は貨車サイズでしたが、マニ44形は客車同然の広いものとなりました。
塗装は青一色で、この点でも客車らしさが意識されたものになっています。

マニ44形は昭和53年に登場後、老朽化したマニ60形等の置き換えとパレット荷役の促進を兼ねて、昭和50年代中盤頃から勢力を急速にのばしました。昭和58年まで製造されて総勢161両となり、パレット荷物車としては大勢力になったのみならず、荷物列車自体の衰退もあって短編成化も進んだため、荷物列車の中心的な役割を担うようになりました。
スニ40形やワキ8000形と共に荷物列車を貨物列車然とした姿に変えつつ活躍しましたが、宅急便の台頭で荷物列車の衰退は収まらず、昭和61年の荷物列車自体が廃止となってしまいました。これにより一気に活躍の場を失ってしまいます。
用途のなくなったマニ44形は、車齢が若いにも関わらず分割民営化前に僅か16両を残して廃車となってしまいました。中には製造後僅か4年の短命だったものもありました。
残った16両はJR東海に継承され、ユーロライナー色に塗装されて「カートレインユーロ名古屋」号で活躍します。
カートレインでは12系改造のジョイフルトレイン「ユーロライナー」の客車と連結され、マニ44形にクルマを載せて熱田~東小倉間で運行されました。
専用のテールマークも付けられて、マニ44形としては唯一と言える華やかな舞台だったと言えるでしょうか。
カートレインは好評ではあったものの、諸々の事情により平成6年を最後に運転を終了。いよいよ用途のなくなったマニ44形は次々と廃車になっていきました。最後に残った2両は平成8年に「トロッコファミリー」号用の客車、オハフ17形に改造され、マニ44形は登場から僅か17年で形式消滅。過去帳入りしたのでした。

比較的地味で短命なマニ44形ですが、末期の荷物列車を再現するのには欠かせない存在です。
我が家でもようやく末期の荷物列車を再現する事ができるようになりました。

ところで、

マニ44形と一緒にこんなのも我が家にやってきました。

これについては「待て次号!」ですw

鉄コレ営団3000系を入線整備

毎度ご覧いただきありがとうございます。
先日紹介したマッコウクジラこと営団3000系ですが、スローテンポで入線整備を進めています。

付属のアンテナ取り付けとパンタ交換は前回紹介したとおりですが、走行化パーツで車輪とカプラー交換、ウエイト取り付けを行います。

見た目の部分ではドアと窓のステッカーをインレタで取り付けています。


カプラーにはGMナックルを使用してみました。
シャンクが短のものと中ののものを組み合わせています。

連結面間隔はこんな感じ。なかなか良さそうです。

パンタグラフとドアステッカーと窓ステッカーはこんな感じです。かつての営団車らしい雰囲気が一気に増してきます。
小型の窓ステッカーとドアステッカーは銀河モデルの営団500形用のものを使っています。
特に実車では昭和63年頃までみられた、角型のこのタイプのドアステッカーは営団500形用にしか無いのですが、既に生産終了しており入手困難になりつつあります。
KATOの営団500形はもちろんのこと、昭和50年代の姿をプロトタイプにしているKATOの営団6000系や鉄コレの営団5000系や営団2000形にはうってつけなんですけどねぇ。売れないんでしょうか。
若い人には「営団ねこ」の方がピンとくるのでしょうけど、自分みたいなオジサンには営団のドアステッカーといえばこのタイプなんですよねw

車体と窓のシルバーシートステッカーはトレジャータウンのものを使用しています。

余談ですが、ドアステッカーのインレタは、ドア窓が「監獄ドア」な小窓なうえにHゴム付なので、ギリギリまで小さく切り出す必要があるのです。
かなり神経つかうので、なかなか進みませんw
また、窓にくっついてるシルバーシートステッカーは実車もサイズギリギリで、インレタでは正直サイズが収まってません。
いかに営団3000系の窓が小さいか実感しておりますw

サイドビューはこんな感じです。
乗務員ドアはいつもどおり、乗務員室表示を付けています。
パンタグラフは実車のPT44と類似のTOMIXのPT4212Sです。もっともホーンの形が異なっているので、適切なものと交換したいところです。

動力化も行いました。本来は編成中央にある3500形を動力化したいところでしたが、3500形はFS348を履いていて動力用台車枠が存在しないため、FS510を履くパンタ付の4500形を動力化しています。
動力にはGMの18m車用コアレス動力ユニットを使っています。鉄コレ用動力は室内にモーターが露出してしまっていますが、GMコアレス動力はスルスル動く上にシースルーにできます。やや値段は貼りますが十分にその価値はあると思います。
台車枠はヤフオクで鉄コレ用FS510台車のものを入手しました。GMコアレス動力にポン付けできるのが素晴らしいですw
床下機器は床板差込用の爪を削除したのち、0.5mmのプラ板を噛ませてゴム系接着剤で接着しました。

以上でひととおり入線整備メニューになります。

最後に僚友の東急7000系とツーショット。
同じ日比谷線・東横線を走る電車ながら、正反対のキャラクターを持っているのがなかなか面白いところです。

我が家としては初めてのマトモな地下鉄車ですが、運転会などで活躍させるのが楽しみです。

マトモじゃない地下鉄車(銀座線旧型車)もそろそろ整備しなきゃなぁw

中央・総武緩行線のE231系色々

毎度ご覧いただきありがとうございます。

今回は駄ネタかつ実車ネタです。

6月から職場が中央緩行線沿線の勤務となり、毎日黄色の電車のお世話になってます。

現在同路線はE231系のみになっていますが、実は4種類の編成が存在しています。

E231系基本番台で6ドア車入りの編成。
かつての主力でしたが、現在は武蔵野線等に転出しており、少数派になりつつあります。
正面に6ドアマークが入っています。

E231系500番台です。
山手線から続々と転入しており、E231系基本番台に代わって主力となりつつあります。
前面の意匠が基本番台と異なる他、ドア上にモニターの付く、いわゆる「山手線スペシャル」だったのですが、中央・総武緩行線に進出を果たし路線限定ではなくなりました。
ちなみに、山手線時代は加速度が3.0km/h/sあったのですが、ここでは2.5km/h/sに落とされてしまったようです。

こちらら基本番台で6ドア車のない編成です。
山手線の500番台では数が足りず、全編成の置き換えができないため、一部編成の6ドアサハを抜いて、他の編成から抜いたモハユニットを入れて500番台と編成の構成を合わせています。緩行線に残留する基本番台車は将来全てこのスタイルになる予定です。
基本番台顔ながら6ドアマークが消えているのがポイントです。

E231系の試作車、900番台です。
元々209系950番台として登場したため、車体は209系500番台との共通点が多々見られます。
6ドア車が入っているため、将来的なホームドア導入に向けて中央・総武緩行線から撤退すると思われますが、車体のみならず制御装置等に量産車との差違がみられるため、今後の動きは不透明なものとなっています。

とまあ、同じ様に見えるE231系も色々あってなかなか面白いですねw
ちなみに、基本番台車と500番台は機器更新の最中でもあり、いずれも未更新車と更新車が存在しています。

余談ながら、中野以西にはもう一種類E231系(東西線乗り入れ用800番台車)いたりします。
E231系だけでこれだけバリエーションがあるのはここ中央・総武緩行線だけです。
E231系でE231系を置き換えるというのもビックリですが、これもE231系発祥の地の面目躍如と言ったところでしょうかw

マッコウクジラを捕まえたw

毎度ご覧いただきありがとうございます。

先日、いつも使っている鉄道模型店にグリーンマックスのマニ44形を買いにいったつもりだったのですが、こんなものを捕まえてきてしまいましたw

営団3000系。地下鉄日比谷線の初代車両で、額が広く丸っこいスタイルから「マッコウクジラ」の愛称で呼ばれていました。
なるほど、頭のイメージがまさに「マッコウクジラ」です。
ホンモノのマッコウクジラは深海を泳いで生活するそうですが、こちらのマッコウクジラは東京の地下を泳いでいたわけですねw

入線したのは基本と増結の8両フル編成です。
営団3000系は東武乗り入れ対応車、東急乗り入れ対応車、両方対応車がありました。
また、営団3000系のドアは登場当初は大きな窓でしたが、子供の手が戸袋に引き込まれる事故を防止するため、昭和43年度製造車からドア窓がこの模型の様な小さなものに変更され、大窓のものも昭和51年以降順次小窓に交換されました。中間車の一部は製造時から小窓でしたので、結構長い間編成中に小窓と大窓が混在する編成が見られました。
今回の編成は、ドア窓が全て小窓で東武乗り入れ車対応という、昭和50年代末頃~引退までで一番多数派のオーソドックスなモデルになっています。

早速付属品の無線アンテナを取り付けました。
この棒状アンテナは東武無線アンテナのものです。
行き先表示と運行番号は印刷済でした。
自分としては、運行番号は札を室内から下げている時代のものにしたかったのですが。
クロスポイントからステッカーがでており、GMストアの秋葉原店で在庫を確認できたので、追々検討する事にしましょう。

サイドビューです。
ドア窓、側窓ともに小さいのが如何にも当時の営団車らしい趣です。
およそスマートとは言い難いですが、いかにも「トンネルの中ばかり走る電車」といった雰囲気が好きでした。
それにしても、この鉄コレは営団3000系の特徴をよく掴んだ良品です。特にドアの表情は他社製の営団3000系より実物に近い様に思います。
なお、パンタグラフは製品指定ではTOMIXのPG16となっていましたが、形がより実物に近いPT4212Sを付けました。

走行化キットも購入済み。
これからジワジワ入線整備していきます。

鉄コレなので、自ずと入線整備のメニューは多くなっています。
・付属のアンテナパーツ取り付け
・パンタグラフの交換
・走行化パーツの適用
・動力ユニット組込
・カプラー交換
・ドアおよび窓のステッカーのレタリング

昔の電車なので、方向幕などのステッカー取り付けが要らないのはちょっと楽ですかねw
ちなみに現在はメニューの内上2つは完了。走行化パーツ以下は一部実施状態です。

一次整備は以上ですが、追々内装整備や電飾もしていきたいところです。

最後に、恒例の軽い実車解説です。

営団3000系は昭和36年に登場した、地下鉄日比谷線用の電車です。
車体はスキンステンレス(台枠等は普通鋼を使用し、車体外板のみステンレスを用いている)となっており、当時のステンレス車らしくコルゲートが目立つのが特徴です。
上でも書いたとおり、丸みを帯びて額の広いスタイルから「マッコウクジラ」の愛称で呼ばれました。
足まわりは、駅間が狭く急勾配もある地下鉄線内に対応するため高加減速性能を満たしつつ、東武伊勢崎線と東急東横線に乗り入れるため高速走行にも耐えるオールパーパスな仕様となっていて、全電動車方式を採用。制御装置は滑らかな加速を実現するバーニア制御となっています。ギア比は6.31と高めで加速度4.0km/h/sとなっていて、営団地下鉄車(後の東京メトロ車も含む)でも随一を誇っています。
モーターは三菱製のMB-3054系(75kw)で、駆動方式はWNドライブとなっており、この時代の三菱WN車らしい比較的静かで軽快なサウンドが特徴でした。
台車はダイレクトマウント式の空気バネ台車で、軸箱支持方式は初期車は丸ノ内線の500形や銀座線の2000形同様のアールストーム式(FS336)でしたが、途中からミンデンドイツ式(FS348)に変更されました。これらの台車は製造上の問題などから経年で不具合がおきたため、FS336の方は台車枠交換。FS348の方はSUミンデン式のFS510に交換しています。

(上写真右がFS348、左がFS510)

さて、営団3000系は当初2両編成で登場。乗客の増加と路線の延伸伴って順次2両ずつ編成を伸ばし、最終的には8両編成になっています。
上で書いたとおり、東武伊勢崎線および東急東横線と相互直通運転を行っていたため、北は東武動物公園、南は菊名までと広い範囲でその活躍を見ることができました。
もっとも、乗り入れ先ではいずれも普通列車であったため、やや地味な印象がありました。
登場以来ひたすら日比谷線の主として活躍してきましたが、世の中の時代の推移は激しく、昭和60年代には冷房もなく窓も小さい営団3000系は陳腐化が目立つようになってきました。
昭和63年に後輩の03系が登場すると、次第に置き換えられて行きました。
設備こそ時代遅れになったものの、丈夫なステンレス車体に高性能の足まわりはまだまだ使用できたことから、一部が長野電鉄へ移籍したほか、他の私鉄の中古車と営団3000系の床下機器を組み合わせて活躍するケースも多く見られました。
その後も暫く03系に混じって活躍していましたが平成6年に全車が日比谷線から引退しました。
なお、引退直前には愛称となったマッコウクジラのラッピングが施され、さよなら運転も行われました。
さて、長野電鉄に移った電車は3500系を名乗り、現在(令和元年7月)も活躍を続けています。
さすがに半世紀以上の活躍で老朽化が進んでおり、一部は廃車になっています。今後も3年程で新車に置き換えられることが決定しており、現役で活躍する姿も後少しとなりそうです。
そんな中、営団時代に元トップナンバーだった3001と3002号車は長野電鉄で引退後東京メトロに里帰りし、今では古巣の千住の車庫で動態可能な状態で眠っています。

営団3000系はどちらかと言えば大人になってからその魅力に気付いた電車ですが、愛嬌のある丸みのある姿や窓が小さい「営団地下鉄らしい」雰囲気が好きで、友人と一緒に引退寸前にお別れ乗車に行ったものでした。
東武線や東急線で遭遇したときは、その「場違い」な感じに思わずニヤリとしたものです。
この様な形で我が家のラインナップに加える事ができて嬉しいです。

209系 中央線VS南武線

毎度ご覧いただきありがとうございます。

今回は駄ネタです。

我が家の209系2題を色々比べてみます。

左は南武線の2200番台、右は先日入線の中央線1000番台です。
2200番台は0番台の機器更新車で、209系の基本形に近いと言えるでしょう。

やはり顔つきは大きく異なりますね。

2200番台は209系の基本形である、大きな一枚ガラスを使った非貫通構造の前面です。
行き先表示は元々幕式でしたが、LED式に改造されています。


クハ209のサイドビュー比較です。
色が違うのはもちろんですが、一番左側の窓の大きさが異なるのが大きな違いです。
2200番台はこの部分が他と同じ7人掛けシートですが、1000番台は6人掛けとなっています。
実は車体長も異なっていて、2200番台の方が若干長くなっています。

ちなみに
E231系を見てみると、209系1000番台とそっくりの窓配置であることがわかります。

他の窓も異なっていますね。
2200番台は元々固定窓だったのが後天的に改造された2段窓になっていますが、1000番台は中央の窓こそ同様の改造となっているものの、右側の窓は製造当初から開閉可能な下降窓になっています。これも1000番台が209系とE231系の中間と言える部分になりそうです。

行き先表示は両者とも3色のLEDです。2200番台の方は0番台時代には幕式でしたが、2200番台改造時にLED式となりました。

床下機器も異なっていますが、残念ながら製品としての1000番台の床下機器がE231系の流用になっているので単純比較できません。
実際にはそれほど大きな差違はないものと思われます。


モハ209です。
実車は制御装置の形が異なっていますが、模型でも再現されています。
2200番台は更新工事により、IGBT素子を使用したE233系同等のインバータ装置(SC88A)で、筐体が小型のものになっていますが、1000番台はGTO素子を使用したオリジナルのインバータ装置(SC41D)で、筐体が一回り大きいのが判ります。
窓は2200番台は固定窓が後天的に改造されて2段窓となり、開く窓の位置も中央と右側ですが、1000番台は最初から開閉可能な一段降下窓で、開く窓の位置も左右となっています。
ドアコックの位置も異なっていますね。

屋根上も異なっています。
これは使用されてきた路線環境の差違によるもので、2200番台は0番台時代は京浜東北線、改造後は南武線と地上路線で運用されているためラジオ輻射アンテナが見え、パンタグラフに避雷器がくっついていますが、1000番台は地下鉄千代田線で運用していたため、ラジオ輻射アンテナがなく避雷器は国鉄型同様独立しています。

参考までに、E233系はこんな感じです。
ラジオ輻射アンテナがあり、避雷器の位置は209系2200番台同様であることが判ります。

連結させてみましたw
よく見ると窓形状が異なることがわかります。
2200番台(右側)は東急車両製の0番台の特徴を有しており、窓隅のRが小さいのに対し、1000番台は東急車両製ながらE231系同様に窓隅のRが大きく、縦幅も若干小さくなっています。
ちなみに、
実車の2200番台はこの様に窓枠がアルミ製で鈍い光沢なのですが、模型では再現されていません。フラットシルバーで色さししてみても良いかもしれないですね。
1000番台はこのとおり、窓枠がステンレス製です。こちらは模型と印象が同じですね。

以上、209系2200番台と1000番台を色々比べてみました。

南武線と中央線の新旧並び。中央線の方は209系1000番台の方が新入りと言うのが面白いところですがw
それにしても、我が家いつの間にかJR東の新世代通勤車が増えてきたものです。

TOMIX209系1000番台を入線整備した

いつもご覧いただきありがとうございます。

予告どおり、209系1000番台の入線整備を実施しました。

先日入線してきたTomix209系1000番台です。
ワイドボディではないストレートのステンレス車体にオレンジ帯というのは新鮮です。

入線整備前の状態です。
アンテナと列車無線アンテナだけ付けた状態です。
このままでも十分カッコいいですが、表記類が全くありません。

カプラーも昔ながらのアーノルトカプラーです。せっかくのTomix製ですので、ボディマウント式TNカプラーに変えてあげます。

まずは窓のステッカーから貼っていきます。
優先席、ドアステッカーに加え、東京寄り先頭車には女性専用車ステッカーを付けました。

さて、優先席とドアステッカーは実車に合わせて内貼り式のステッカーを使用しましたが、女性専用車のステッカーも実車が
このとおり、窓の内側に貼ってあり、スモークガラスの209系では暗く見えます。
よって・・・

むりやり内貼り式にしましたw
薄い透明プラ板にステッカーを貼り付け、窓の裏側から木工ボンドで接着しています。
わりとそれっぽい雰囲気になったと思います。

クハに関してはさらに・・・


後天的改造により車体中央の窓が二段窓に改造されていますが、この部分の縦ピラーは銀色になっています。模型は上の写真のとおり黒ですので・・・


薄い0.5mm幅のプラストラップを銀色に塗り、接着して銀色のピラーを再現しました。

カプラーもTNカプラーに交換しました。

窓のとカプラーの加工が終わったらこんどは行き先表示と表記類です。
行き先と編成番号ステッカーをつけます。
これらを付けると模型に「魂が入る」ような気分になります。黒い顔に白の編成番号札は良いアクセントになりますね。
行き先は「快速東京」にしました。豊田行きのほうが「らしい」感じもしなくもないですがw


車番と表記も入れます。
ナンバーは81編成こと、クハ209-1001以下の編成にしました。
所属表記は製品に付いていないので、銀河モデルのものを使用しました。
銀河モデルのインレタにエンド表記もありましたが、オーバースケールだったのと、実物も非常に小さく目立たないので、敢えて使用しませんでした。

号車番号と、2・9号車にはフリースペース表示も入れます。中央線のフリースペースは通常1・10号車ですが、移籍車らしく変則的な位置になっています。


4号車には弱冷房車表示も付けます。
これも良いアクセントになりますねw

一通り入線整備が終わりました!
やはり良いですねぇ~。

最後に、209系1000番台について軽く解説します。
JR東日本209系は、平成4年に登場した次世代通勤形電車の試作車、901系をベースに量産仕様として平成5年に登場した電車です。(901系は後に209系に900~920番台として編入されています。)
「価格半分、重量半分、寿命半分」をスローガンに様々な工夫が行われ、従来の電車とは異なった設計思想、工法をとり、その後の国内の電車よ設計思想に大きな影響を与えました。
JRの電車としては初めて本格的にVVVFインバータ制御を採用しており、低容量のモーターを過負荷使用し、インバータも比較的安価な容量低いものを多く採用することでコストを下げることで、これまで高価となりがちだったインバータ電車の価格を下げ、インバータ制御の普及に大きな影響を及ぼしています。
209系は量産形式ながら試作要素も強く、様々な意味で「尖った」仕様になっていたため、その後登場するE231系やE233系では運用実績をフィードバックして熟成されて行くことになりました。
さて、209系1000番台は地下鉄千代田線乗り入れ用として平成11年に登場した、209系としては最後発のグループです。前回の投稿でも書いたとおり、幅広車体の500番台同様、E231系の設計思想を先取りして採用しています。このため0番台と同じ狭幅車体ながら、細かな部分で0番台との差違が見られます。外板も0番台より厚めのものが使用されているようで、0番台では経年と共に顕著に見られた外板の歪みが殆ど見られません。
地下鉄乗り入れ用のため、前面には非常扉が設置されているのが特徴で、他の209系と大きく異なる意匠になっています。なお、この後に地下鉄東西線乗り入れ用として登場したE231系800番台がほぼ同じデザインで登場しています。
インバータは0番台と同じGTO素子を使用したSC41Dですが、モーターはE231系に使用されている改良形のMT73を使用しています。
地下鉄乗り入れ用のため、加速度は3.3km/h/sと高くなっており、これに合わせてMT比も6M4Tと電動車比率が高くとられています。
設計最高速度は0番台同様の110km/hですが、常磐緩行線自体の最高速度は90km/h、千代田線はそれ以下でした。
さて、209系1000番台の細かな生い立ちについては前回投稿のとおりで、松戸に配置されて常磐緩行線・千代田線で活躍していましたが路線環境の変化と中央線で電車の不足が発生したことにより、平成30年に中央快速線用として豊田電車区に転属しました。(運用は平成31年3月改正から)
あくまでE233系のトイレ・グリーン車の整備の穴埋めと言うことで転用改造は最低限にとどまっていて、帯色の変更や保安機器の変更、前面非常扉閉鎖などのみとなっています。後輩のE231系ですらインバータ機器の更新が行われる中、209系1000番台は相変わらずGTO素子のインバータのままで、独特の走行音を中央線で楽しむことができるようになりました。
特筆すべきは加速度も地下鉄乗り入れ用のままの高いままになっていて、209系らしからぬキビキビした加速を見せます。
特殊な車両と言うことで積極的には使用せず、通常は東京~高尾間の快速に限定運用されており、平日は午前中のみ。休日は午後に豊田~東京を1往復するのみとなっています。
ただし、大きなダイヤ乱れ等で運用の変更が発生した場合に特別快速や青梅線直通に使用された実績があったりします。


中央線のグリーン車使用開始は2023年となっており、209系1000番台の中央線での活躍はおそらくそこまでとなるでしょう。
この変わり種の電車の活躍はさほど長くはなさそうですが、しっかり見届けていくと共に、模型では末永く活躍させていきたいと思います。